エゼキエル 24章

「あなたのみだらな汚れを見て、わたしはあなたをきよめようとしたが、あなたはきよくなろうともしなかった。」(13節)

神は私たちの人生がきよめられることを願っています。神は泥沼のような中から私たちを引き上げ、きよめてくださるお方です。しかし、残念ながら、ある人々はまた、その泥沼に帰って行ってしまい、再び身を汚してしまいます。神は私たちの意志を尊重されますから、その人の間違った選択に対する報いを受けることを許されます。LBでは、「わたしはあなたをきよめようとしたが、あなたが拒んだので」とあります。しかし、それは神がその人を見捨てたわけではなく、その人が本当の意味で悔い改めて、変わることを願われているからです。神は私たちが悔い改めて、神の助けを求めるならば、いつでも私たちを助ける準備ができています。あわれみ深い神は放蕩息子を待っていた父親のように、待っておられます。

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