エゼキエル 17章

「このとき、野のすべての木は、主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、緑の木を枯らし、枯れ木に芽を出させることを知るようになる。主であるわたしが語り、わたしが行なう。」(24節)

22‐24節は、「野のすべての木」が国々を象徴していて、終わりの時に、国々がメシヤ(若枝)の支配に服するという約束です。この約束を期待する理由は、最後の部分にあります。

「主であるわたしが語り、わたしが行なう。」

岩波訳ではこう訳しています。

「わたしヤハウェが〔これを〕語ったのである。わたしが〔これを〕実行する。」

神が語ったならば、神が責任をもって実行されます。神がご自身の言葉に責任をもたれます。ですから、聖書のみことばを宣言して祈ることには意味があります。

「枯れ木に芽を出させること」ができる神は、私たちの人生にも新しいはじまりを与えることができます。どんなに未来が枯れ木のように見えても、主に期待しましょう。

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