2列王記 24章

「彼は主の宮の財宝と王宮の財宝をことごとく運び出し、イスラエルの王ソロモンが造った主の本堂の中のすべての金の用具を断ち切った。主の告げられたとおりであった。」(13節)

バビロン帝国のネブカデネザル王によるバビロン捕囚のことがこの章に記されています。私たちの疑問の一つは、どうしてバビロンの軍勢は簡単に神の神殿を破壊することができたかということだと思います。エゼキエル書11章にその理由が記されています。

「主の栄光はその町の真中から上って、町の東にある山の上にとどまった。」(23節)

つまり、ユダの国の人々の罪のゆえに、神の臨在はすでに神殿から去っていたと。神の臨在を失った神殿には意味がありません。Ⅰコリント3章にはこう記されています。

「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」(16節新共同訳)

教会も愛を失い、神の臨在を失うならば、何の意味もありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です