1サムエル 7章

「その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」(2節)

沢村五郎という牧師が、サムエルが20年間何もできなかった理由を、こう解説しています。

「それは民に主を慕う何の渇望もなかったからである。いかに偉大な預言者があっても、渇望のない民に対しては、手の施しようがないのである。」

サムエルは、

「イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」

という状況まで、待つ必要があったと言うのです。

「神様がしてくださらなければ、どうすることもできない」

という程の、渇望をもつまで、待つ必要があったと言うのです。

イエス・キリストも言いました。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37,38)

今日は主の日です。主を慕い求め、共に、礼拝を捧げましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です