Ⅱ列王記 4章

「器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません。」と言うと、油は止まった。」(6節)

エリシャが言うように、からの器を集めて、その器に油をつぐと、油は尽きることなく次々にその器をいっぱいにしました。しかし、器がなくなると、油は止まりました。アルゼンチンのリバイバリスト、アナコンディア師は、「空の器を捜して歩き、愛の油を注ぎ続けよう」と言います。「愛の油を注ぎ続ける限り、油注ぎは止まることはありません」と。私たちは愛の油を求めます。しかし、現実は、「これっぽち」と思っても、空っぽの人々に注ぎ続けることによって、愛の油が止まらないことを体験します。私たちが注ぐ愛は、自分の愛ではなく、神の愛だからです。ですから、愛の油が止まったと感じるのは、注ぐ器を見失っているからかもしれません。

「主よ、空の器を捜し、あなたの愛を注ぐことができますように。」

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