1コリント 4章

「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」(5節)

パウロは、あくまで主が裁かれるのだから、私たちが互いに結論を下すべきではないと主張します。彼自身、自分でも裁かないとまで言います。パウロは、イエス様が、

「あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイ7:2)

と言われたことを心に留めていたのだと思います。聖書がはっきり約束していることは、イエス・キリストが再び来られること、そして、すべてを裁かれることです。私たちが知る由もないことも、神はすべてをご存じです。ですから、裁く役割は主にお委ねし、愛する役割に生きましょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です