士師記 21章

「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(25節)

イスラエルの人たちは、互いに自分の目に正しいことを行った結果、内戦となり、仲間同士傷つけ合うこととなりました。ベニヤミン族を打ち破ったイスラエルの人は、勝利に酔いしれるどころか、泣き悲しみました。

「イスラエルの神、主よ。なぜイスラエルにこのようなことが起こって、きょう、イスラエルから一つの部族が欠けるようになったのですか。」(3節)

夫婦でも家族でも教会でも、仲間同士の争いは、結局、悲しみしか残りません。たとえ夫が妻を言い負かせても、喜びはありません。なぜ、このようなことが起こったか、それは、彼らが神のみこころを求めることをせずに、自分たちの目に正しいと見えることを行ったからです。この後、長老たちは拉致を推奨する愚かな決断をします。教会も、それぞれ自分の目に正しいと見えることをするなら危険です。聖書を学ぶことは大切です。

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