士師記 17章

「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。」(6節)

哲学者たちは、普遍的な善悪はないと言います。しかし、だからといってめいめいが自分の目に正しいと見えることを行うならば、無秩序状態に陥り、結果的に社会は崩壊していきます。士師記はそのことを証明しています。人は普遍的な善悪を必要としています。そして、普遍的な善悪は、神のみことばである聖書の中で告げられています。聖書は言います。

「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(ミカ6:8新共同訳)

人はそれぞれ自分の基準で生きていくのではなく、神のみことばを信仰と生活の基準として生きていくことが大切です。

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