Ⅰ列王記 22章

「すると、ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬をなぐりつけて言った。『どのようにして、主の霊が私を離れて行き、おまえに語ったというのか。』」(24節)

 預言者を自負していたゼデキヤが、ミカヤの頬をなぐりつけたというところに、主の霊がすでに彼を離れていたことが分かります。なぜなら聖霊の実は「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ5:22,23)だからです。しかも新約聖書にはこんな箇所もあります。「しかし天からの知恵は、第一に純粋であり、おだやかなやさしさとに満ちています。そして、平和を愛し、だれにも礼儀正しくふるまいます。独善的でなく、人のことばに喜んで耳を傾けます。また、思いやりと善意にあふれた態度をとります。」(ヤコブ3:17LB)「たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」(Ⅰコリント13:2新共同訳)神のしもべは争いません。(Ⅱテモテ2:24)

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