民数記 5章

「・・・わたしがその中に住む宿営を汚さないようにしなければならない。」(3節)

荒野を旅するイスラエルの人々にとって一番大切なことは、神が「その中に住む」ということでした。イエス様の時代のパリサイ人も、この思想のゆえに、彼らの基準に達さない人たちを汚れた人として、切り捨てていました。しかし、イエス様ははっきりと言いました。

「しかし、忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、人々から天の御国をさえぎっているのです。自分もはいらず、はいろうとしている人々をもはいらせないのです。」(マタイ23:13)

彼らは汚さないために祭司たちが守るべき律法を守ってきたという自負がありました。しかし、それは神が願っていたことではありませんでした。神がその中に住む宿営を汚さないために私たちができることは、イエス・キリストの十字架の御業を認め、キリエ・エレイソン、「主よ、憐れんでください」と祈ることでした。

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