創世記 11章

「それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。」(9節)

人が一致して行おうとしたことは、天に届く搭を建てるということでした。それは、いわゆるオカルト的な意味合いがあったと言われています。問題は、今も似たようなことが起こっているということです。人は創造主なる神を求めることよりも、自分たちが神になろうとします。そして、その結果は、バベル、混乱です。神を無視して自分が神のように世界を動かそうとする時、そこには、混乱(バベル)が待っています。彼らがすべきだったことは、はっきりとしています。創造主である神に、聴くということです。静まって、聖書を開き、神のみことばに耳を傾けることをなおざりにするならば、同じような混乱(バベル)は避けられません。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です