「月ははずかしめを受け、日も恥を見る。万軍の主がシオンの山、エルサレムで王となり、栄光がその長老たちの前に輝くからである。」(23節)
イザヤは、やがてヤハウェなる神ご自身が支配するために来られると預言しました。
「シオンの山、エルサレムで王となり」
というのは、ダビデの王国の完成を意味します。神ご自身が王となり、その民を牧されると。イエス・キリストは、エルサレムで十字架にかかられました。そしてその十字架の上には、「ユダヤ人の王」と刻まれました。誰が想像したでしょうか。神は、そのひとり子を与えることによって王となられました。子なる神、イエス・キリストは、すべての人の罪のために死ぬことによって王となられました。LBでは23節をこのように訳しています。
「ついに天の軍勢の主はシオンの御座にのぼり、イスラエルの長老たちの見ている前で、エルサレムを中心に世を治めます。その栄光は、太陽の輝きも月のうるわしさも、色あせてしまうほどです。」