「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる。」(46:10)
日々のルーティンから解放され、日々の義務から解放され、神を神として知りなさいという意味があります。
「やめよ」、「静まれ」と訳される原文のヘブル語は、「そのままに!」「ありのままに!」という、人間的な画策や模索をやめて、ただ神である主に委ねることを意味します。
いわゆる、武装放棄を迫る言葉です。
そういう意味で、日々の生活の中で、自分のよろいかぶとを脱いで、静まって、神が神であることを認識する時間を持つことは大切なことです。
「わたしこそ神であることを知れ。」
とありますように、ここでは「わたし」が強調されています。
つまり、私たちは「自分が、自分が」という自己中心的な自分を手放して、自分の心の王座から降りて、主なる神を認めて、自分の心の王座に、主イエス・キリストを歓迎する必要があるということです。