「青年は言った。「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められていた場所です。」(16:6)
十字架で処刑されてから三日目、週のはじめの日である日曜日、イエス・キリストはからだをもってよみがえり、空になった墓をあとに去りました。
キリスト教徒であるならば、そのように信じています。
それで、イエス様の死を、悪のすべての力に対する驚くべき神の勝利だったと信じます。
実際、キリスト教の起源を、イエス・キリストの復活の確実性について語らないで説明することは無理があります。
歴史の中で、何度もイエス・キリストの復活を否定しようという試みがなされてきました。
しかし、イエス・キリストはよみがえられました。
そうでなければ、キリスト教自体が存在することはありません。