主任牧師:小山 英児
わたしがどのようにしてクリスチャンになったか
私は1972年に神奈川県川崎市に生まれ、兄が川崎ゼンソクになったため、
空気の良い横浜に翌年より移り住み、そこで育ちました。
両親がクリスチャンで、小さいころから親の手に引かれ教会学校に通っていました。 母方の祖父は戦後の路傍伝道を通して福音に触れ、 そして家族そろって救われました。また父は、母の兄を通して救われました。 このような恵まれた素晴らしい環境に生まれ育ったのですが、 1987年の夏になるまで、本当の意味での神様を知らずに生きていました。
その夏、私は中学三年だったのですが、たくさんの挫折のプレッシャー、 また憎しみの中で苦しんでいました。家でも学校でも平和はなく、 心の傷を抱え、毎日ひとりで部屋にこもっては唯一の楽しみであったギターを弾く、という生活が続いていました。
そんな中、母に一人旅行にいきたいのでお金を貸して欲しいと頼みました。 一人になって冷静に気持ちの整理をしたい、と強く願いました。 その時母が一つの条件を出しました。ミクタム・ミュージックセミナーというクリスチャンのキャンプに行ったら、 一人旅行にも行かせてくれるというのです。 どのようなキャンプか何も分かりませんでしたが、ギターを教えてくれるということだったので、 兄と二人で参加することにしました。
現在私は栄シャローム福音教会で奉仕させていただいていますが、 当時は家族と同じ伝統的な教会に通っていました。 今でこそワーシップソングは人々に知られてきましたが、 十年前はまだそれほど教会内に入ってきていませんでした。 ですから、キャンプ中、祈りの中で人々が「アーメン!」と大きな声で言ったり、 手をたたいたりする姿や、また讃美歌とは別の曲をギターやドラムを使って演奏する様子に恐ろしささえ感じました。 兄も私も動揺し二人で部屋にとじこもって、帰ろうかという話し合いまでしていました。 二人で当時はやっていた「ブルーハーツ」というグループの曲をギターを弾いて歌いました。 しかし兄は突然こう言い出したのです。 「自分たちのやっていることはよくない。高いお金を出して参加したのだから、何か得て帰ろう。」 二人で二つのことを決めました。
- 人より多く食べて元をとろう。
- ここで歌っている歌を一つ覚えよう。
ワーシップソングが賛美であるということを全く知らなかった私たちは、 小坂忠先生にそのことを尋ねたりもしました。 ここで私たちが覚えた曲は岩渕まこと先生に教えていただいた「ホサナ高らかに」でした。
キャンプのプログラムが進んでいく中で私の心に一つのワーシップが響いてきました。 「きよい手をあげ」という賛美です。 周りの人たちが手を上げて力強くこの賛美をしている中で、 私はどうしても自分の汚れた両手を上げることができませんでした。 心の中で叫びました。 「主よ、あなたは本当におられるのですか。」
その時です。確かに私は主イエス・キリストを見たのです。 どんな顔をしていたか?そう言われても困るのですが、しかし確かに主を見たのです。 後で知ったことですが、詩篇22篇3節にこう書かれています。 「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」 主はまことに賛美の中におられたのです。 あとで、兄もその時に同じ体験をしたことを教えてくれました。 その時は何も知らず、ただ主を見たことが主の存在を確証させただけでなく、 言葉に表わせない人知をはるかに超えた神の愛が私を覆ってくれたのです。 私は、「今もこうして生きておられる主についていきたいです」 とその時こころから願いました。
二千年前に私たちすべての罪を背負って十字架で死んでくださったイエス様は、 今も、今日も生きておられます。聖書には 「イエス。キリストはきのうもきょうも、いつまでも同じです。」(ヘブル13:8) と宣言しています。
キリスト教は宗教でも歴史でもありません。 今も生きるイエス・キリストを個人的な救い主として私たちが受け入れる時、 私たちは救いを体験します。それだけでなく、たくさんの祝福があります。 でも私にとってなによりも祝福だったのは、このイエス様が私の親友となってくださったことです。 私は毎日イエス様と話せます。イエス様は聖書を通してたくさんのことを毎日語ってくださいます。 人生というのはいつも穏やかとは限りません。しかし 「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。 わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33) と宣言されたイエス様と共に歩める日々はなんとしあわせでしょう。 今、ここにおられるイエス様を友として救い主として受け入れてみませんか。
名誉牧師:与那嶺 ルイス
現在アルゼンチンで宣教師をしております
1958年、アルゼンチン、ブエノスアイレスに生まれる。1977年にクリスチャンとなり、
歯科大学3年の時、日本人に対する使命を受けてブエノスアイレスにあるアライアンスの神学校に入学。
その後、OMのデューロス号にて、宣教訓練を受け1984年に5歳の時から日本のために祈っていたマリーサ夫人と結婚。
1986年4月に日本に神戸改革派神学校聴講生として来日。この時長女愛子が生まれる。
多くの兄弟姉妹の助けにより一年の学びを無事に終える。
1987年に栃木県那須高原にある宣教師訓練センター(MTC)にて一年間学びの合間に、食料品の配送、 マリーサ夫人はペンションのアルバイトをしながら奥山実先生のもとで学ぶ。 1988年夫婦でMTCを卒業。その後、神奈川県に移り、 昼間はクリスチャンの電化店で働きながら、東京にある夜間神学校ACGIに通う。 また、伊勢原聖書キリスト教会の協会宣教師となり、はじめてのスペイン語礼拝をはじめる。 3年間の学びを終えた後、1991年から、横浜市栄区にある栄シャローム福音教会(スウェーデンの宣教師が始めた開拓教会)の主任牧師として開拓の働きを続けられる。 当初は牧師を支えることが出来ない小さな教会だったので、教会の働きをしながら、 夜間23時から5時まで藤沢日産自動車工場から港まで、トラックの配送の仕事をする。 2年目にはスウェーデンフリーミッションから支えられ、フルタイムで牧師としての働きに従事。 数名で始められた教会も、現在30数名の方々が礼拝に集まっている。 1996年9月、今度は日本からの宣教師としてアルゼンチンに帰国。 同時に「与那嶺宣教師を支える会」が設立される。