1サムエル記 21:1-23:29

「それは何よりです。私に下さい。」(21:9)

箴言29章25節にこういう箇所があります。

「人を恐れるとわなにかかる。」

サウルを非常に恐れたダビデはゴリアテを倒した剣を、

「それにまさるものはない。それを私にください。」(協会共同訳)

と受け取ります。しかし、皮肉にも、剣を手にしたダビデに不安がつきまといます。ちいろば先生こと榎本師は言います。

「彼の心が神から物に移ったとき、神にではなく、物に平安の根拠を求めたとき、彼は不安のとりこになってしまったのである。」

箴言は続けてこう記します。

「しかし主に信頼する者は守られる。」

榎本師は言います。

「しっかりと神により頼もうとするとき、私たちは何ものをも恐れない。しかし、ひとたびその目がこの世の物に移り、ゴリアテのつるぎを『それにまさるものはない』と思うようになるとき、その日私たちは不安のとりこになってしまう。」

かなしいおしらせ

微笑ましいツバメ夫婦の巣作りの様子を書いたのはつい先週。日曜日には向かい合って眠っている様子にきっといよいよ巣作りも本格化するのだろうと期待して楽しみにしていました。ところが、月曜日の夜。ツバメ夫婦は帰ってきませんでした。どうしたのだろうと心配になり、火曜日の夜も様子を見に行ったら、オスだけが寂しそうに巣で眠っていたのです。それはそれは悲しい背中で、かける言葉もありませんでした。水曜日の夜も、木曜日の夜も一人ぼっちで眠っています。ツバメ夫婦に何があったのでしょう。巣作りが下手で愛想をつかされてしまったのかな。「あなたはひとりじゃないよ」と伝えてはみたものの、言葉が通じないですよね。ツバメになって励ましてあげたくなりました。でも、イエス様は実際にそうしてくださったんですね。私たちと同じ姿となって地上に来てくださり、滅びの穴から私たちを救い出してくださいました。ツバメを見ながら、神様の愛の深さを感じます。かなしいことに昨晩オスツバメもいなくなっていました。力になれず残念です。 (小山晶子牧師婦人)

巣作りの極意

教会に巣を建設中のつばめ夫婦。毎日観察していて気付いたことがあります。最初に驚いたことは、すぐには巣作りを始めなかったということ。数日間巣作りはせずに夜になると体を寄せ合って眠っていました。私が気付いてから少なくとも三日間は巣作りを始めていなかったので、おそらく一週間近くかけて住まいの環境をチェックしていたのではないかと思います。生れてくる雛たちのためにできる限り良い環境を、ということなのでしょうか。そしてもう一つ。ツバメは巣作りからひなの巣立ちまでだいたい6週間だそうですが、教会のツバメは巣作り3週目に突入しているということです。しかもまだ完成しそうにありません。調べてみるとツバメにも性格があり、おおざっぱでぐちゃぐちゃな巣を作る子もいれば、几帳面でものすごく丁寧に巣作りする子もいるらしいのです。いつまでたっても完成しないので何となくメスが怒っているように見えるところが何とも愛らしい。神様の創造の業はユーモアのセンスもばっちりで私の心を元気にしてくれています。(小山晶子牧師婦人)

母の日ですね。

いちゃいちゃつばめたちは牧師婦人の迫害にも負けず、強い夫婦のきずなを発揮して本格的な巣作りを始めてしまいました。負けましたよ、、、お母さんになる日も近いでしょう、、、。というわけできょうは母の日ですね。昨日、今日の礼拝でお渡しするバラの花を買いに行った折、受付にも花を飾りたいな、と思い手ごろなカーネーションを探していました。ところが、とっても香りのいいバラの鉢植えを見つけてしまったのです。名前はわからないのですが、とにかくいい香りなのでさっそく購入し、本日受付のカウンターに飾っていますので是非香りを楽しんでいただきたいと思います。母親の仕事はいつになったら楽になるんだろう?そんな風に考えたりしますが、恐らく死ぬまで子どものことを心配するのでしょうね。親の心子知らずとはよく言ったものですが、私自身もいまだに母には心配をかけているようなので偉そうなことは言えません。「ご飯はちゃんと作ってるの?」「衣類の入れ替えはした?」どこかにカメラがあるんじゃないかとドキッとしますが。(小山晶子牧師婦人)

いちゃいちゃつばめ

先週日曜日の第三礼拝終了後、看板をしまおうと薄暗くなった外へ出た時。教会正面左側の管のところに黒い物体を見つけました。よく見てみるとツバメのつがいが顔と顔を合わせ、体を寄せ合って眠っていたのです。それはもう、とても微笑ましい光景で人間も見習いたいものだと何枚も写真を撮りました。次の日の朝、ツバメたちはいなくなっていたのできっとどこかに巣作りに行ったのだと思いちょっぴり寂しく思っていました。ところがその日の夜。同じ場所にまたツバメのつがいが昨晩と同じようにぴったりと身を寄せ合って眠っているのです。まさか愛の巣を?一抹の不安を抱えていましたが翌朝、やはりツバメはいなくなっていました。しかしその夜。今度は入り口のドアの上に夫婦の姿が。近づいてる、、、そしてさっき見ると最初に見つけたその場所に巣作りを始めているのです。とりあえず留守になったのを見計らってホースで洗い流しておきましたがさて、どうなることやら。詩篇八四篇のツバメのくだりを思い出し、良心の呵責にさいなまれております。 (小山晶子牧師婦人)

「わたしのげぼく」 

ポコが息を引き取ってから一か月。
あわただしい春休みが終わり、新年度も始まって、ようやく日々のペースが落ち着いてきました。出窓に飾ったポコの写真をそろそろゆっくり眺められそうだなあと思っていた矢先、リラの宮脇から一冊の本の紹介がラインで送られてきたのです。タイトルは「わたしのげぼく」。猫が語っているように書かれたこの本を読んで、数週間前にやはり愛猫を看取った宮脇は本屋で号泣したそうです。以前書いたように、今飲んでいる薬の影響で感情の起伏が以前ほどない私は、最近ほとんど泣くことがありません。ポコが死んだとき、その日は泣いたものの日曜日ということもあり、それ以降は泣くことなく過ごしていました。しかしこのシンプルな絵本を読むにしたがって、本当に久しぶりに込み上げてくるものがありました。ポコと過ごした日々を追体験し、ようやくちゃんと悲しみ、泣くことができたように思います。それぞれいろんな出来事に向き合いながら、毎日を歩んでいることと思います。今週も神様の助けと守りがありますように。 (小山晶子牧師婦人)

イースターにたまご  

「イースターにたまご」とタイトルを書いて変換したら「イースター煮卵」となってしまい思わず吹き出してしまいました。そう、きょうはイースター。イエス様の復活を記念し、喜び、お祝いする特別な日曜日です。毎年イースターエッグを作って一つづつ皆さんに持ち帰っていただいていますが、もちろん今年も準備しています。フイルムを蒸気で張り付ける時に少しコツが必要ですが、ぴったりと卵に張り付いて綺麗に出来上がる瞬間がマジックみたいで楽しんでいます。皆さんの顔を思い浮かべながら一つ一つ慎重に作業を行っていますので是非忘れずお持ち帰りくださいね。ゆで卵からはヒヨコが孵ることはありませんが、イエス様は不可能と見えたであろう完全な死からよみがえられました。真っ暗闇だと思われたあの日、イエス様は勝利をとられました。目の前の状況が暗闇のように感じている時こそ、私たちは神様がどれほど偉大なお方であるかを体験することができるチャンスです。そのことを心に留め、今週も歩んでいきましょう。
(小山晶子牧師婦人)

ちいさなぽち

4、5日前から舌の奥にぽちっと小さな粒ができています。小さいのに触れると割と痛くて熱いものを食べても痛むのです。以前なら大して気にも留めなかったかもしれませんが、義兄が舌癌で大きな手術をしたこともあり早めに病院に行った方がいいかな、と悩んでいます。昨日義兄のお見舞いに行ったとき、そのことを相談してみました。症状が小さいうちに、早めに診察に行った方がいいよ、と筆談用の紙に目いっぱい図解も入れながら一生懸命話してくれました。診察は痛かった?と聞いたところ「容赦なくチョキチョキ切られた」とのこと。病院へ行く勇気がほんの少ししぼみましたが、あと一週間痛みが残るようなら行ってみようと思います。体験した人の言葉にまさる説得力のある言葉はないなあと思いました。死への恐怖を体験し、その中でも神様の言葉を握りしてめていた義兄の姿に、これから神様が彼に与えておられる役割の大きさを感じています。皆様のお祈りを心から感謝します。続けて義兄と義兄家族のためにお祈りください。何よりも力になります。 (小山晶子牧師婦人)

そして、新年度 

先週日曜日、教会学校の小学六年生3名がとうとう教会学校を卒業してしまいました。みんな幼いころから、もしくは生まれる前から成長を祈りつつ見守ってきた大切な子どもたちで、嬉しくも寂しい気持ちです。先日のリラコンサートの折、私が小学5、6年だった時の教会学校担当だった先生の娘さんがあいさつに来てくださいました。時の流れを感じるとともに、楽しかった分級の時間を思い出しました。あれから30年以上の月日が流れ、今私自身も教会学校の子どもたちの巣立ちを見送る立場となり、先生方がどのような思いで関わって、祈って下さったかということに、当時は知る由もなかった深い愛を感じます。栄シャロームの教会学校を経験した子どもたちも、いつの日か大人になった時にほんの少しでもそのことを思い出してくれたらと心から願っています。最後のおはなしはWWJD(イエス様だったらどうする?)。どのような場面でもイエス様の御心を一番に考える習慣を身につけてくれることを、あっこせんせいは心からお祈りしています。  (小山晶子牧師婦人)

ぱんぱん

いつもは土曜日に書くことの多いデイリーのコラムですが、今日は金曜日。あすはリラのコンサートが東京で行われるので一日早く書いています。昨日まで三日間御殿場で行われたユースキャンプに参加してきました。日曜日の礼拝時に、参加したメンバーがそれぞれ証をすることになっています。事故やけがもなく、全てが守られました。皆様のお祈りを心から感謝します! 私は中一になる春のキャンプでイエス様に出会いました。神様に愛されていることを小さいころから何度も聞いてきましたが、本当の意味で、ほんの少しですが実感できたのです。誰にも気づかれないような小さな出来事でしたが、私の人生にとっては、神様への生きた信仰となったこの瞬間が何よりも大きな出来事であったと思います。参加した子どもたちにとっても、そのようなかけがえのない時間であってほしいと心から祈っています。それにしても、年度末のせいかあわただしさに頭も心もぱんぱんです。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせて次の作業に向かいたいと思います。 (小山晶子牧師婦人)