先週三日間をかけて教会の屋根裏を含む倉庫の大掃除をしました。こちらに引っ越してきて早17年。古いものが出るわ出るわで初日はどうなることかと思いましたが、新實伝道師と小山牧師、次男と健爾兄という片付け5レンジャーで黙々と作業は進められ、普段は見えない場所ではありますがとてもすっきり、きれいな状態になったと思います。それにしても暑かった!特に屋根裏の収納庫は換気扇が壊れている中でエアコンもなく、人生でこんなに汗をかいたことがかつてあっただろうかと思うほどでした。神様の宮である教会をきれいにするのは大変ではありましたが同時に感謝な時間でもありました。古いものを見つけるたびに、このようなプロセスを経て、主が私たちをここまで運んできてくださったのだということを確認することも出来ました。この教会にも苦しいこと、辛いこと、涙することが多々ありましたがその一つ一つの出来事の中に確かに神様はともにおられて、励まし、なぐさめ、力づけてくださったことを改めて思い返す機会ともなりました。 (小山晶子牧師人)
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この世がすべて
令和の時代に入ってからも、暗く重いニュースが続いています。どうしてこんなことが起こるのだろうかと心ふさぐ日々ですが、私たちクリスチャンは絶えず意識しておくべきことがあります。それは、この地上での歩みが私たちのすべてではないということです。特に新約聖書では繰り返し、地上では私たちは旅人であるということと私たちの国籍は天にあるということが語られています。悪魔はこの世がすべてだという嘘を私たちに信じ込ませ、この世のことで私たちの心をいっぱいにさせようと動き回っています。どうせ人生一度きりなんだから、自分の心のままに好きなように生きればいい、と囁くのです。その声を拒絶し、私たちが天の故郷に目を向けるなら、私たちは全く違う視点で物事を見ることができるようになります。この地上での歩みは、神の国の国民としての性質を養うためのレッスンの場であることに気づくとき、新たな光が心に差し込んでくると思うのです。聖書の御言葉に耳を傾け、心を満たすときに悪魔は私たちから遠ざかっていきます。 (小山晶子牧師人)
聖書考古学の連載
11月号のちから誌より一年間の予定で聖書と考古学というテーマで小さな連載をすることになりました。「好き」ということ以外、知識も情報量も乏しい私がどの面下げてとの思いはありますが、大好きな考古学の魅力をできる限りお伝えできればと思いますし、何よりも考古学を学ぶことで聖書が今よりも立体的に読めるようになる一助となれればとの思いです。お祈りいただければ幸いです。
イスラエルで学んだ夏からまるまる25年の月日が流れてしまいました。行った場所の記憶や学んだことがこぼれてしまわないように、忘れないようにと情報をアップデートしながら過ごしてはいますが、そろそろ限界です。きょうの第3礼拝では、イスラエル帰還したユダヤ人を助けるBFP(ブリッジズ・フォー・ピース)で働いておられる梶山兄が証メッセージをして下さいます。「いま」のイスラエルの様子を聞ける貴重な機会ですので皆さん是非是非ご参加ください!近い将来、かの地を踏みしめることができるようにとの思いはマグマのように熱くなっています。(小山晶子牧師人)
母のクッキー
息子たちが引いていた風邪をまんまともらってしまい、先週久しぶりに少し高い熱を出してしまいました。金曜日は数か月ぶりに母が上京し、一緒に叔母の入居している施設に面会に行く予定でしたが、熱が下がらず行くことができませんでした。とても残念に思い、母に会うこともしばらく先になるなあと思っていたところ、突然の電話。「面会が終わったから今からそちらに行く」というのです。まさに元寇並みの唐突さです。熱でボーっとする頭をフル回転させ、のそのそと片づけを始めては見たもののふらふらになり万事休す。ありのーままのーすがたみせーるーのよーというアナ雪の歌が頭の中でリフレインする中、本当に母はやってきました。私の顔を見たら安心したのか、一時間半で母は帰っていきましたが…愛を感じるひと時でもありました。お土産に塩味饅頭とお手製のクッキー3袋を持ってきてくれたのですが勿論クッキーはグルテン。ひとまず観賞用にしています。でも、一緒にクッキーを作った幼いころの記憶は、いつまでたっても甘くおいしいものです。 (小山晶子牧師人)
みえない
梅雨らしい天気が続いています。
もんわりする暑さと乾かない洗濯物にそろそろ嫌気がさしてきた方もいらっしゃるでしょう。そんな梅雨のさなかの先週木曜日、悪天候のため婦人会を急遽お休みにすることにしました。朝から降り続いている雨と台風のような風に驚きながら車を運転していたところ、どんなにワイパーを速く動かしても前がまったく見えないほどの土砂降りの雨に遭遇しました。とても怖かったです。使い慣れてる道なのに、周りが見えなくなって自分がどこにいるかが一瞬わからなくなってしまいました。その時、隣に乗っていた次男が「信号が赤だよ。とまって。」といった言葉にはっと我に返りました。いま、このことを書きながらその場面を思い起こしているのですが、たとえ自分は見えていなくても、聖霊なる神様がともにおられるならその声に耳を傾ければいいのだということを改めて思い起こしています。人生は、前の見えない道をドライブしているような場面が多いですが、主が隣にいてくださるから、私たちは平安なのですね。 (小山晶子牧師婦人)
福島に行ってきます。
今週金曜日から三日間、福島県で行われる「ライフラインのつどい」の音楽ゲストとしてリラが参加することになっています。震災後、何かしたいと思いながらもなかなか具体的なお手伝いができなかったこともあり、今回このような機会をいただけたことを大変ありがたく思っています。皆さんのお祈りに覚えていただければ幸いです。初日は会津若松市での集会ですが、会津若松といえば若松城、白虎隊、八重の桜。特に幼いころ見た白虎隊のストーリーは強烈に残っています。少年たちが燃え行く城を見ながら(実際は燃えてはいなかったようですが)自害するシーンは、あまりにもせつなく、かわいそうでした。イスラエルのマサダで、籠城していたユダヤ人約千人の、その最後の様を聞いた時、やはり同じような何とも言えない気持ちになりました。希望を手放すことがどれほどの悲劇をもたらすのかをこの二つのストーリーは物語っていると思います。イエス様に希望をもって歩むという選択をどんな瞬間にもすることができますように。
(小山晶子牧師婦人)
落ち着く場所
わたしは文房具を見るのが好きです。仕事柄手紙を書くことが比較的多いこともあり、新作のレターセットはちょこちょこチェックしています。メールで済ませることも多いですが、例えばHOPの支援を送ってくださった方への領収書を送る際には必ず一筆箋で一言添えるようにしています。ですから、書きやすいペンに出会えた時はテンションが上がります!気に入った一筆箋と書きやすいペンがあれば最高です。マスキングテープも様々な種類の絵があり、見ているだけで楽しいです。最近家の古くなったダイニングテーブルを白いペンキで塗り直したのですが、そのふちにぐるっと猫柄のマスキングテープを張ってデコレーションしています。沢山のものが売られていますが目的なくつくられたものは一つもありません。誰かがデザインし、色や形、特徴を考えて物は作られていることを考える時に、私たちも神様の作品として一人一人が「わたし」としてつくられていることを改めて考えさせられるのです。「わたし」の役割を果たせますように、と今日も祈ります。 (小山晶子牧師婦人)
めまいのゆくえ
「頭がぐるぐる回る」
小山牧師が突然こう言い出したのは先週月曜日のこと。とにかくすべてがぐるぐる回ってまともに歩けない、というのです。なーんだ、また猫の毛が耳の中に入ってめまいを起こしたのね。あまり深く考えることなく楽観的に過ごしていたのですが、夕方になっても症状がおさまらず挙げ句の果てには気持ちが悪い、と言い出しました。慌ててかかりつけの耳鼻科に行ったところ猫の毛のせいではなく、良性発作性頭位めまい症とのことで、人間の繊細な身体ゆえの症状だということです。良性とはいえ、ずいぶん日常生活に支障が出てしまい、大変そうです。特に夕方ごろにさしかかると症状が悪化するため、夕礼拝のメッセージは座って行うことになるかもしれません。体の平衡感覚をつかさどっている耳の機能に改めて神様の創造の素晴らしさを覚えます。幸い3日目を過ぎたころから支えなしで歩くことができるようになってきたのでほっとしています。皆さんのお祈りに覚えていただければ幸いです。
(小山晶子牧師婦人)
鏡よ鏡よ鏡さん
アマゾンのタイムセールのおかげで念願のLEDライト付卓上鏡を手に入れました。コンサートの控室などに時々いわゆる「女優鏡」があり、まぶしいほどのライトは、目が悪い私にとっては大変ありがたい存在でしたので、わくわくしながらさっそく梱包をほどいて電池をセットし、ライトをつけてみました。隅々まで照らされた自分の顔を見てびっくり。あそこにもここにもしみが、、、しわが、、、歳を重ねていることはわかっていましたが、思った以上の現実にのけぞりそうになりました!見なければよかった、、、そんな思いが心をかすめていきましたが、とにかく現実を直視しなければとローションの量を増やして塗り込みながら抵抗を試みる日々です。でもこの身体は一時的なもの、やがて天の御国で栄光の身体になるときにはシミもしわもない、と聖書に書いてあります。なんとすばらしい約束でしょう。みんなシミもしわもない姿ってどんなだろう?そんなことを考えてしまいました。やがて来るその日を、楽しみにしながら歩むきょうこの頃です。
(小山晶子牧師婦人)
疲れてしまった時は
毎日があわただしく過ぎていきます。様々なことをやり終えてようやく一息、と思ってもすぐにまたやることに追われている。常に何かに追われている状態でまずいな、と思っています。言葉もきつくなり、攻撃的にもなってこうなってしまうとますますADHDの症状が加速してしまうので、とにかく落ち着こうと思って今これを書き始めました。深呼吸して、あたたかいお茶を飲んで、ほんの少しでいいからいたち川沿いを歩きたいです。神様が創られたものの中に身を置き、心を落ち着かせてから次の行動を起こすことが今必要だなあと感じています。みなさんはどのようにして気持ちを落ち着かせていますか?イエス様は
「すべて疲れた人、重荷を負っている者は私のところに来なさい。休ませてあげます。」
とおっしゃいました。今この御言葉を思い起こしたときに不思議と私の心は平安で満たされました。そうですね、疲れた時にはイエス様のところに行けばいいんですね。
「イエス様、疲れました。どうかこの心を落ち着けてください。」
この小さな祈りが大きな力になります。(小山晶子牧師婦人)