ナホム書1:1-3:19

「主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。」(1:7)

ナホム書は、アッシリヤ帝国の首都、ニネベに対する裁きの宣告の書です。ですから、全体的に裁きのことばが続くのですが、その中で、突然今日の箇所が登場してきます。それほど、私たちが心に留めておくべきことだからだと思います。神様の裁きの中にあってさえも、私たちが覚えるべきことが三つあります。それは、まず第一番目に、神様は「いつくしみ深い」(良い・GOOD)お方。第二番目に、私たちの苦難の日のとりでとなってくださるお方。そして、第三番目に、主に身を避ける者たちを知っておられるお方、気にかけてくださるお方です。私たちが理解できないことはたくさんあります。しかし、分からないことのゆえに、分かっていることを手放す必要はありません。

イザヤ書65:17-66:24

「狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、そこなわれることなく、滅ぼされることもない。」と主は仰せられる。」(65:25)

主は言われます。「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。」(十七節)神は天地を新しくされると言います。そこでは狼と小羊がいっしょに草を食べ、ライオンは牛のようにわらを食べ、蛇はちりを食べて、人にはかみつかないと言います。傷つく者は一人もなく、壊れるものは一つもないと言います。そのような完全な新しい天と新しい地は、この世界の終わり、イエス・キリストが再び来られる時にもたらされます。その日まで、我慢するのではなく、そのような平和をこの地に作り出す役目が私たち一人一人にあります。「平和をつくり出す人は幸いです。」(マタイ五・九LB)

イザヤ書 63:1-65:16

「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」(63:9)

私たちが苦しむとき、神はいつも共に苦しまれています。「足跡」という詩があります。「

ある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりの足跡が残されていた。一つはわたしの足跡、もう一つは主の足跡であった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。わたしの人生で一番辛く、悲しい時だった。(中略)主は、ささやかれた。『わたしの大切な子よ。わたしはあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。足跡が一つだった時、わたしはあなたを背負って歩いていた。』」

ああ葡萄

今年は例年に比べてかなり葡萄の房が多く、夏の初めには小山牧師がそのひと房ひと房に袋をかけて収穫を心待ちにしていました。ところが先日の台風の折にその多くが地面に落ちてしまいました。せっかく残った房もそのすべてに爪で後をつけたような傷が入っており、よく見ると蟻がせわしげに葡萄の実に出入りしながらせっせと働いています。なんということでしょう。ヨハネ福音書にはイエス様が御自身と私たちを葡萄の木と枝にたとえて語っておられますが、枝についていたってまともな実ができないことがあるんですね。確かに、15章5節には 「人が私にとどまり、私もその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」この箇所の意味がずーんと心に響いてきました。まだ黙想の最中なのですがすっかりダメになってしまった多くの葡萄の実を見ながら、こうはなりたくないなあと思うのです。良い実を実らせるためには、良い水と正しい栄養が必要なことを思うと、自分の信仰生活を反省せずにはいられませんでした。     (小山晶子牧師人)

イザヤ書 49:8-51:16

「神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。」(50:4)

LBではこう訳しています。

「神である主は私に、知恵のことばを授けました。疲れきった人に何を言ったらいいかを教えるためです。朝ごとに、主は私を目覚めさせ、御心への理解を深めさせてくれます。」

神は、朝ごとに、聖書のみことばを与えてくれます。私たちは聖書を開くたびに、御心への理解が深められていきます。興味深いことは、神が私たちに御言葉を授けてくれるのは「疲れきった人に何を言ったらいいかを教えるため」だと言います。私たちは自分の教養のためというよりも、人々を励ますために日々神のみことばを受け取る必要があります。

※ 明日は香港からゲストが来ます。第三礼拝は英語礼拝です。

台風15号

身に危険を感じるほどの強風にさらされたことは今までありませんでした。今回の台風15号は大きな爪痕を各地に残していきましたが、神奈川県も例外ではなかったと思います。鎌倉や逗子、金沢区、横浜のふ頭などが大きな被害を受け、復旧に時間を要しました。強風で窓ガラスが割れてしまうのではと不安を覚えた方もいらっしゃると思いますし、眠れなかったという方も大勢おられたと思います。未だ停電が続く千葉の方々のご苦労を思うと心が痛みます。あっという間に取り去られていった日常。まさに「明日は我が身」との意識を強くさせられる出来事でした。自分で頑張って生きているのではなく、生かされて今があるのだということも改めて感じています。台風15号が来たあの日、図らずも地域の教会の関係者が集まって初めての「防災ネットワーク作り」に関する会合が行われました。地域教会としての役割を今まで以上に意識して、地の塩・世の光であるキリスト者が良き証となれるようにと祈りつつ準備していきたいと思います。       (小山晶子牧師人)

ラムネ菓子

今月後半に小山牧師がバングラデシュのHOPを訪問するにあたり、先日のHOP理事会でお土産に「オリオンラムネ」を約600個持っていくことが決まりました。ラムネ菓子が日本発祥であるということを皆さんご存知でしたか?このラムネ菓子、もともとはラムネという飲み物から語源は来ているそうですが、実はこれ、「レモネード」がなまって「ラムネ」となったそうです。ラムネ菓子は落雁にヒントを得たという説などもあり探っていくと面白そうです。ちなみに成分はでんぷん、ぶどう糖、クエン酸だそうで疲労回復に効果的なんだそうですよ。残暑疲れにラムネを一粒みなさんも食べてみてはいかがでしょうか。身体だけでなく、心が疲れてしまってどうにもこうにも立ち上がれないと感じている人もいらっしゃるでしょう。一粒のラムネならぬ一言の御言葉が、五臓六腑に染み渡ることを体験するチャンスかもしれません。主は良いお方です。暫し目を閉じ、神様がして下さったことを思い起こしながら静まるときを持っていければと思います。 (小山晶子牧師人)

ちょっと「谷」な感じ

単ペン大会が無事終わり、その後のもろもろの行事も終わり、気づけばもう八月も終わり。来週の日曜日から9月ですね。我が家では、長男も次男も人生の大きな岐路に立っているという現状に加え、教会が直面している厳しい状況に時々心がつぶれてしまいそうになります。ゆだねてもゆだねても、すぐに取り戻してしまう心配事。心配したってしょうがないじゃん、と言い聞かせつつ、繰り返し神様に委ねるという作業。海に浮かぶ木の葉のように翻弄される自分の気持ちに情けなくもなります。いま、私に必要なのは「主の御業を思い起こすこと」だと思います。どれほどの助けの中で、恵みの中で生かされてきたか。どれほどの困難を神様は乗り越えさせてくださったか。一つ一つを丁寧に思い返す時間が必要だと感じています。ちょっと「谷」な感じになっているわたしの心。みなさんはいかがですか?もし同じようなところを通っていると感じる方がいるなら、一緒に神様の恵みを思い起こしてみませんか。
(小山晶子牧師人)

台風と蜘蛛

先週、台風10号はずいぶん離れた場所に長時間停滞していましたが、横浜にもかなり強い風と共にスコールのような雨にも見舞われ、不安定なお天気に翻弄された一週間となりました。強風の中ふと目を上げると、お隣の屋根と教会の屋根とをまたいで大きな蜘蛛が巣を作っていました。風が吹くたびに蜘蛛の巣があおられ、今にも飛んでいきそうな様子です。まだ作りかけらしく、スカスカな部分もあるのですが、しっかりと張られた両側の蜘蛛の糸はしっかりとそれぞれの屋根にくっついていて、まるで風にあおられるハンモックのようでした。蜘蛛が大嫌いな私ですが応援したくなりました。先ほどその巣を見に行ったところ、さらにグレードアップし、太陽の光にキラキラと輝いていました。振り落とされないようにしっかりとしがみつく蜘蛛の糸のように、イエス様というぶどうの木にしっかりとつながっていたいと思いました。嵐の中で、日照りの中で、「しがみつく」こと。そんなことを蜘蛛の巣から教えてもらった夏の日の出来事でした。
(小山晶子牧師人)

父の年齢

終戦直後の昭和20年9月に旧満州で生まれた父は今年74歳になります。原爆の日のニュースを聞きながら、74年という時間に思いを馳せました。私が幼いころ、中国残留孤児のニュースに、父は「他人ごとではない、自分がそうなっていてもおかしくなかった」とよく言っていたことなど思い出し、母の叔母たちが長崎の原爆で亡くなったことなどもあって毎年8月は戦争と平和についていつも以上に考えることが多いです。先日訪れた会津若松のコンサート会場の敷地内に『シベリア抑留者慰霊碑』があり、不思議に思って地元の人に尋ねたところ、この地域からも大勢が村単位で満州にわたり、敗戦後シベリアに抑留されていたとのことでした。世界がどんどん平和から遠ざかっているような現在の情勢に、キリスト者としてどう歩むべきかを問われているように感じています。この時代に生かされているキリスト者の存在は、希望の光であり腐敗を止める塩でもあります。イエス様に倣うものとなれますようにと祈らされる日々です。
(小山晶子牧師人)