デザートアルファ開催中

6月から新たにアルファを始めています。ゲストは今のところ一人なのですが、今までと少しだけ変化があります。これまでアルファでは食事を提供していましたが、今回は私が大好きなスイーツたちを独断でセレクトしてお出しする、ということにしました。 ちなみに第一回目は「さつま芋と紫芋のようかん」。きょうは「御座候のあんこを使った冷たい白玉ぜんざい」にしようと思っています。堂々とスイーツが食べられるなんて、我ながらなんてうまい企画を思いついたのだろうと思います。聖書には「主の素晴らしさを味わう」ことが命じられていますが、おいしいスイーツを堪能するように神様の素晴らしさを時間を取って日々味わっているでしょうか。神様の御言葉はハチミツより甘い、というたとえもあります。スイーツをいただくように、ゆっくりと味わって御言葉を少ずつ味わうことができたらと思います。しっかり味わうことで、今度は周りの人にその美味しさを自分の体験として、よりリアルな言葉で伝えることができるようになります。
(小山晶子牧師婦人)

教会の変化について

先週から、約二か月ぶりに通常の教会活動が再開しました。本日も第一礼拝から第三礼拝まで行っていますし、ビブリオンや祈祷会などもオープンしています。ただ、飛沫感染を防ぐためマスクの着用をお願いしていますし、賛美の間は窓やドアも開放した状態になっています。会衆との距離を確保するため賛美リーダーは講壇でリードすることとなりました。椅子の並びもジグザグで今までとの違いに戸惑うこともあるかと思いますが、お互いのためにご協力をどうぞよろしくお願いします。花壇の花も植え替えられ、昨年の台風で壊れたラティスも修繕が終わりきれいになっています。自粛期間にぶどうの木の下にズッキーニと唐辛子とミニトマトも植えました。成長を見守ることがわたしの日々の日課となっています。教会の建物の存在に感謝するとともに、やはり教会とはキリスト者の集まりあってのものだということを強く思い知らされる日々でもありました。お一人お一人の存在に心から感謝しつつ、今日も共に、心ひとつに礼拝を捧げていきましょう。   (小山晶子牧師婦人)

ふつうじゃなかった日々 

ようやく首都圏に出されていた緊急事態宣言が解除され、ほっとしました。もちろんすぐに元の生活に戻れるわけではありませんが、異様に静まり返っていた街に子どもたちの楽しそうに遊ぶ声が響くのを聞きながら暫し喜びをかみしめています。明日からもう6月。思い返せば新型コロナの影響が出始めてから数か月、このわずかな期間に半年前には全く考えられなかったことが次々と起こりました。入国拒否やオリンピックの延期、緊急事態宣言、学校の閉鎖、テレワーク、海外での都市封鎖など。全世界規模の「鎖国」状態はものすごいスピードで進んでいたグローバル社会にも計り知れない影響を与えています。この世界がすべてだと考えるなら、こんなにむなしいことはありません。神様を抜きに考えるならまさに「空の空。すべては空(伝道者の書1:2)」。伝道者の書は最後をこうまとめています。
『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。災いの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」という年月が近づく前に(伝道者の書12:1)』
(小山晶子牧師婦人)

わーい、スタバ! 

決まった行動をしないと落ち着かない、という私の特性について何度かここでも書いたことがありますが、緊急事態宣言によって「みなとみらいを歩く」ということができなくなって一か月以上が経ちいよいよ本当につらくなってきました。そんな私を見かねて夫が(ほとんど店が閉まっている)みなとみらいに連れて行ってくれました。もちろん店はやっていないですしエスカレーターも動いていないのですがあちこちの店で再開に向けた準備でしょうか、明かりと共にスタッフらしき人の姿もちらほらと見受けられます。クイーンズスクエアにさしかかった時、スターバックスがオープンしているのを見つけ、思わず入ってしまいました。持ち帰りのみの営業で今日からオープンしたとのこと。うえーん。泣きそうになりました。久しぶりのスタバの水出しコーヒーの味は格別でした!教会で皆さんをお迎えする日、そのときの気持ちなどを想像すると本当に、泣きそうです。もうすこし、あとすこし。神様の恵みを数えつつ、乗り越えていきましょう。
(小山晶子牧師婦人)

たこたこパーティー

先日、次男の嗣音が十九歳の誕生日を迎えました。教会の皆さんには幼いころから見守り育てていただき、心から感謝しております。本来ならTCUで寮生活が始まっているはずでしたが、このような状況のため家族そろっての思い出深い一日となりました。
本人にお祝に何が食べたい?と聞いたところ「たこが食べたい」とのこと。?え?と聞き返してしまいましたがあの、いわゆる一般的な「たこ」だというのです。嗣音はたこが大好きだということを実はつい最近知ったのですが、まさか誕生日にたこを要求するとは。というわけで生きたたこをゲットするため南部市場へ行ってきました。網に入った生きのいいたこを購入し、塩で洗い、茹でること三分。ほかほかのたこが茹で上がり、刺身とから揚げにしました。今度はいつ明石のタコが食べられるかねーなんて、他愛のない会話をしつつ過ごしました。何気ない日常の何気ない一コマですが、神様の恵みを静かに数え、感謝する何とも暖かい時間となりました。
(小山晶子牧師婦人)

あいする母上

きょうは母の日。
わたしたちはみんなお母さんから生まれてきました。今この地上にお母さんがいる人もいない人も、全ての人には自分を産んでくれた「お母さん」という存在がいます。有名な十戒には、人間関係における戒めに関しての一番はじめにこう記されています。
『あなたの父と母を敬え。(出エジプト20:12)』。
3年前の今頃、わたしは鬱がひどくなりほとんど何もできなくなりました。「おかあさん」ならできて当たり前のことができなくなった時、自分は存在するだけで周りに負担をかけてしまう、そう思いました。でもその時初めて『私の目にはあなたは高価で尊い』という御言葉を本当の意味で理解することができたのです。何かできるから、ではなく存在そのものを神様は愛してくださっている。わかっていたようで実はわかっていませんでした。立派な父だから、素敵な母だから敬え、と聖書は語っていません。ただ「敬え」と命じています。そのことに心を留め、すべての「お母さん」に心からの感謝を表す一日にしたいと思います。
(小山晶子牧師婦人)

ふつうじゃない日々⑦ 

教会のジャスミンが満開になりました。香りが強く、ほんの1,2本花瓶にさしてみると部屋中にジャスミンの香りが満ちています。教会横の道路側にある花壇も、これでもか、というくらい花が咲き誇っています。便利なものや物欲が取り去られていったとき、私たちの心を満たし、なごませてくれるものは神様から与えられた一般恩寵なのだなあと今更ながら感じる日々です。無機質な画面から流れてれてくるものをいくら眺めても、それは決して私たちの心を引き上げてはくれません。でも外に出て空を見上げ、川の流れに耳を澄まし、木々や草花が風に揺れるささやくような音をききながら小さな生き物に目を留める時、その一つ一つのあまりにも素晴らしい調和に驚きの連続です。なんて美しい世界に生かされているんだろう。人間の活動が制限され、本来の自然を取り戻しつつある場所。そんな話を耳にすると悪いことばかりではないなあと思うのです。このゴールデンウイークは、神様の芸術に目を留めることを楽しんでみてはいかがでしょうか。    (小山晶子牧師婦人)

ふつうじゃない日々⑥  

「ふつうじゃない日々」もとうとう6回目になってしまいました。きょうは4月最後の日曜日。ひと月以上、教会の皆さんとお会いできていません。いかがお過ごしですか?それぞれの場所で、日々が守られ、主にある平安の内を歩めますようにといつも名前を挙げてお祈りしています。このような状況の中で皆さんの存在はさらに増してくる感じがします。パウロが手紙の中で、兄弟姉妹へ一人一人の名前を挙げて挨拶を送っている気持がわかる気がします。現代は様々な手段で連絡を取ることができますが、パウロの時代は手紙が唯一の手段でした。思いのすべてを手紙に託したパウロと同じ気持ちでこの御言葉を皆さんに贈ります。Ⅱコリント⒔章⒒節‐⒔節
『終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全なものになりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりがあなたがたすべてとともにありますように。』
(小山晶子牧師婦人)

ふつうじゃない日々⑤  

ご存知の方もいると思いますが、わたしは決まった行動パターンを守らないと落ち着かない、という特性を持っています。それが特に顕著なのがマレッジタイム(夫婦で過ごす時間)における行動パターンです。みなとみらいに行き、何を買うでもなく、同じ道、同じ店を通って帰る、というもの。それを外れてしまうと非常に心地が悪く頭が混乱してしまうのです。夫はどちらかというと新たなものを開拓し、
柔軟に対処できる人なので、何年も同じパターンを繰り返す私と一緒に行動することはとても忍耐のいることだと思うのですが、このことを理解して一緒に歩いてくれます。思いがけず家族で家にいる時間が増え、ストレスを抱えている方もいるかもしれませんが、「あの時間がなかったら今の良い関係はなかったね。」といえるような、それぞれの家族にとっての今後につながる関係構築の時間になることを祈ります。

箴言17章1節には

「一切れのかわいたパンがあって、
平和であるのは
ごちそうと争いに満ちた家にまさる」

とあります。(小山晶子牧師婦人)

ふつうじゃない日々④ 

次男の大学生活は春学期がオンライン授業という形で開始することになりました。このまま夏休みに突入する可能性もある、ということでまさに「想像していたのと全く違う形」でのスタートにもう、なんというか、身を任せるしかありません。今までとは違う、普通じゃない日々がまだしばらく続きそうですね。でも、我が家の猫たちにとっては全く変わらない日々が続いています。新型コロナに振り回されることなく食べて、寝て、寝て、食べての穏やかな毎日。猫たちにとっては私といる日々が幸せなようです。
きょうはイースター礼拝。40年以上の私の教会生活の中で、オンラインのみでのイースター礼拝なんて考えたこともありませんでした。みなさんに卵をお渡しすることも出来ませんし、食事会も出来ません。けれどもイエス様は人類が最も暗闇に満ちたその瞬間、死を打ち破りよみがえられたことを思う時に、今この暗闇に覆われているように感じるこの瞬間こそ、主は必ず素晴らしい勝利をそなえてくださっていることを確信することができるのです。 (小山晶子牧師婦人)