越冬ジェニー

三月に入り暖かい日が増えてきました。

家の中で冬を過ごした亀のジェニーは今年も冬眠することなく、先週からは元気に外で過ごしています。

ときどき「ジェニーは何を考えているのかな?」と想像したりしますがそもそも感情がなさそうなので考えたりも多分しないだろうな、、。

不思議ですよね。

将来の心配をする生き物って人間だけです。

ちなみにジェニーよりは知能がありそうな猫のジョシュが次の日のごはんの心配をしているところも見たことがありません。

お祈りするサルも、元旦に計画を立てる犬も存在しません。

自分の存在意義を探求するカラスも、ましてや死後の世界について悩むペンギンも。

やはり人間は神のかたち、神の息が吹き込まれた「特別な」存在なのだと思います。

そのすべての答えは聖書の中に記されています。

今週もわたしたちがイエス様を通して神様との関係をより深め、今生かされている目的に生きることができますように。

心が疲れて何もしたくないときは、神様が与えてくださった「春」に身を浸してリフレッシュしてください。

そのすべてが「神様があなたを愛している」ことを教えてくれます。

(小山晶子牧師夫人)

たまごがない

ここのところ卵の値段が高くて驚いています。

高いだけでなく、商品自体が少なかったり購入する個数に制限がかかっていたり。

いままでは庶民の味方、一番身近にある栄養価の高い食べ物として我が家でも不動の地位を確立していたのに。

先日長男が帰ってきた折にオムライスを作ったのですが卵を2個使うか3個使うかで少し悩んでしまいました。

そんな中でのわたしなりの節約法の一つはパンを焼くことです。

卵も牛乳も使いませんがそれなりにパンらしくできます。

こういう状況にならなければここまでパン作りを継続することもなかったと思うので悪いことばかりではありません。

苦難や危機に直面した時にようやく、人は思いや視点を変え、重い腰をあげられるようになるのかもしれません。

混沌とした不安に満ちたいまの世界の中で、一人でも多くの人が神様の方へと視点を動かすことができることを心から願い祈っています。

主よ、あなたが必要です!

聖霊様、来てください!

と共に心を合わせ祈る教会でありたいと願います。

今週も神様の祝福と平安が豊かにありますように。
(小山晶子牧師夫人)

甘酸っぱい

三〇㎝ほどの長さのあるロースハムの塊をいただきました。

ステーキのように焼いて食べるとおいしいということを聞き、ふと懐かしい料理を思い出しました。

それはマリサ先生がまだ日本にいたころ、時々作って下さった「ハムとパイナップルのステーキ」。

以前ここでも書いたようにわたしはリンゴ入りのポテトサラダや酢豚にパイナップルが入っているものはあまり好きではありません。

ハムとパイナップルという組み合わせもかなり抵抗があったのですが、マリサ先生がせっかく準備してくださった料理、えいっと一口食べてみて驚きました。

パイナップルの甘みと酸味、ハムの塩味が何とも良いバランスなのです。

そこにまろやかでコクのあるバターの風味も加わり、さらにパイナップルの酵素で柔らかくなったハムがそれはそれは美味しくて。

で、それを再現してみたくて木曜日のHOP支援会の昼食に作ってみました。

そのままだと全く接点のなさそうな二つの食材のシナジー効果に、まるで教会のようだと思わず笑ってしまいました。

聖霊様は、この中では質の良い発酵バターの役割かしらなどとひとり妄想しながら。

(小山晶子牧師夫人)

やよいひめ

イチゴが美味しい季節になりました。

次男が暮らしている千葉ニュータウンにある農産物直売所にはこのシーズン香りがいいぴかぴかのイチゴが一斉に売り出されます。

あまおう、とちおとめ、とちあいか、いばらキッス、紅ほっぺ、、、

そんな中で私の一押しは断然「やよいひめ」です。

色は朱色に近くどちらかといえば面長。

見た目は地味ないちごですが口に入れるとやわらかい果肉と共に甘さが一気に広がり、いくらでも食べられます。

この直売所2月から3月半ばまで、形が不ぞろいなものがかなりリーズナブルに購入できるのでTCUに行く用事ができると正直嬉しいのです!

そういえば初めてやよいひめを知ったのは次男の大学受験の日でした。

コロナ感染で世の中が不安と恐れでいっぱいだったあの頃、ダイヤモンド・プリンセス号が停泊している湾岸を抜けてTCUへ向かったあの日。

あれから丸三年が過ぎ、コロナに加えて戦争や大地震であの時以上に痛んでしまった世界の中で、どう歩んでいけばいいのか、イエス様だったらどうなさるだろうかと悩む日々。

主の祝福がわたしたちを通して流れることを切に祈りながら。 

(小山晶子牧師夫人)

これがまあ

実家の母から珍しく写メが送られてきました。

滅多に雪が降らない高砂の家が雪化粧している様子をみて、ふとこの俳句を思い出しました。

これがまあ 終の栖か 雪五尺(小林一茶)

この句は一茶が50歳の時に永住すると決めた故郷である信濃国柏原(現在の長野県信濃町)を詠んだ時の句だそうです。

偶然わたしも今年50歳。

長男も家を出たことで26年ぶりに夫婦二人の生活となりました。

さびしいでしょう、とお声がけいただくことが多いですがさびしいことよりも楽になった面が多いことに驚いています。

それだけ息子たちに意識を向け、エネルギーを注いでいたのだなあと今更ながら実感しています。

子育てに使っていた時間やエネルギーをこれからは伝道牧会に使っていけることにわくわくしています。

終の栖の話なんてまだまだ先のこと。

一粒の雪も降らなかった横浜の空を見上げて思い新たに歩みたいと思います。

とはいうものの、毎日それなりに息子たちから電話がかかってくるので子育て終了!

という安心にはもう少し時間がかかりそうですが。

(小山晶子牧師夫人)

まずい

これまでの人生、皆さんが食べたものので一番おいしくなかったものは何ですか?

わたしは4日前に食べた黒色のお菓子です。

おいしい、まずいはあくまで個人の主観ですのであしからず。

これまで不動の一位はシイタケでしたが今回その順位が入れ替わりました。

この甘草入りのお菓子、実は以前からIKEAでも購入可能でしたし英児先生がそれを好んで食べているのを知っていました。

ところが今回(本人曰く)非常においしい「それ」をスウエーデンで手に入れたととても嬉しそうに食べている姿に「もしかしたら美味しいかもしれない」とうっかり思ってしまい手を出したのが間違いでした。

なんておいしくないんでしょう、、、

しかもキャラメルのようなねっちょり感でしつこく口の中にまずさがまとわりついて残り、長時間味をかみしめる羽目になってしまいました。

これがお菓子として存在しているかの国への驚きの一方、こんなに味覚は一致できなくてもイエス様にあっては愛しあい協力関係を築いていけることの奇跡に感謝しました。

イエス様だけが二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊してくださるお方です。

(小山晶子牧師夫人)

リバイバルの十年

皆様の祈りに支えられて、三日間にわたるピングスト(ペンテコステの意味)教職者国際大会を無事終えて、帰国することができました。

今回「ストックホルム・コール」が採択されました。

詳細は来週までお待ちください。

ただ、簡単に言いますと、これからの十年をリバイバルの十年として一緒に歩みましょうという内容です。

なぜ、十年かと言いますと十年後の二〇三三年は教会が誕生したペンテコステの日から二〇〇〇周年だからです。

今回、四〇カ国からの代表を含む千人規模の教職者が集まりました。

これだけ多くの人たちと一緒に話したのは、パンデミック後初めてでした。

オンラインではなく対面で、会って話をすることの大切さも感じました。

栄シャロームにモラー宣教師を派遣したエステスンドをはじめとする諸教会の牧師たちとも交流ができました。

今後、どのようにスウェーデン・ミッションの兄弟姉妹たちと協力していくことができるか楽しみです。

ノーベル平和賞を受賞したコンゴのムクウェゲ医師、バングラデシュのHOPのアルバート先生の話も素晴らしかったです。

共に祈り賛美した三日間は、天国を彷彿とさせるものでした。

スウェーデン

私たちの教会はスウェーデンのモラー宣教師によって開拓されました。

神がレヴィ・ペトロスというひとりの牧師を用いて、二〇世紀初頭、世界中に広がっていったピングスト(ペンテコステの意味)と呼ばれるグループです。

彼が牧会するストックホルムのフィラデルフィア教会は一九一〇年に二九名で始まり、一九五八年には七千人の会衆、四百人の海外宣教師を支援するまでになりました。

今週、ストックホルムに世界中からスウェーデン・ペンテコステ・ミッションの関係者が集まり国際大会が開かれます。

ノーベル平和賞を受賞したムクウェゲ医師やHOPのアルバート先生なども講演されます。

クリスマス・マーケットの日に突然モラー師から連絡があり、私も参加することとなりました。

明日出発し、土曜日に帰国予定。

来週の日曜日は当初からこの大会に出席する予定だった富士のヨルゲン先生の教会で私はメッセージしますが、二〇日の祈祷会、二二日の主日礼拝で報告させていただきたいと思います。

今日は私の親しい友人であり、注目している牧師でもあるグレイスカルバリーフェローシップつくし野キリスト教会の菅原岳先生が礼拝メッセージをしてくださいます。

ヤコブ 5:1-11

「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」(5:11)

ヨブは正しく生きることを心がけていました。

サタンは神がヨブの財産、家族、健康を守られているから、誠実に生きているだけだと言います。

それで、神はヨブをふるいにかけることを許可されました。

あらゆるものを失ってもヨブは言います。

主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。

そんなヨブを友人たちは、何か悪いことをしたからだと責めます。

ヨブの結末、それは、神の御業は人間が理解できる世界を超えていることが示され、失ったものの二倍の祝福を受けたことです。

聖書は、「この試練を耐え忍べばヨブの祝福がある」と言います。

なぜなら、

なぜなら神が気にかけておられるから、細部に至るまで気にかけておられるから。」(MSG)

今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。

ルカ 1:57-80

「幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に現れる日まで荒野にいた。」(1:80)

クリスマスを迎える前に、その道備えをしたバプテスマのヨハネの存在を覚えることは大切です。

バプテスマのヨハネは「年をとっていた」(7節)ザカリヤとエリサベツの子どもだったので、早い時期に、孤児となっていたと考えられています。

彼は「荒野にいた」とありますが、荒野で孤児を育てていたクムラン教団にいたのではと言われています。

クムラン教団は死海文書を記したグループで、エッセネ派という排他的な共同体と同一と考えられています。

いずれにせよバプテスマのヨハネはエッセネ派を離脱してますが、神が彼をその使命のために守り、育み、備えられたことは確かです。

幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。」(76,77節)